SSブログ

『邪馬台国の全解決』by孫栄健 [基本姿勢]

書籍紹介といきたいところだが、あえて「基本姿勢」で語る。
この本を読まずして、邪馬台国を語るなかれ。

六興出版のロッコウブックスがなぜか大量にわが家にある。
亡くなった父が晩年に買い求めたもので、正直にいって「ちょ~」が多い。
邪馬台国に限らず、日本古代史というやつは、先に語りたい何かがあって、それに敷衍して史書を扱うきらいが多いと思う。
(かく申す自分がそれをやっていないという自信はない)
もちろん、誰もが、語りたいなにかがあるからこそ、語るのであって、なにもないのに語るはずもないのだが。
その語りたい何か、が、その人個人で納得できても、ほかの人を納得させられることができなければ、それはやはり論として通らないのではないかと思う。
(繰り返すが、自分もまた、通らない論を展開しているかもしれないという危惧は常につきまとう)

これまでに、邪馬台国に関して論じられた本を、数十冊は読んだと思う。
だがそのどれ一冊として、私を納得させてくれるものはなかった。
高校時代にすでに『魏志倭人伝』を漢文で読まされている。(←なんで読んだんだっけ、とつくづく思い返してみたら、日本史の特殊授業だった。そんなものやってたんだ……)
だから、一応は、それぞれの著者が文献をあれこれひねっている、その沿革が推測できる。
そのどれもが、納得がいかなかった。
そう、この著者の答えと同じ答えを導き出している著書もあったはずだが、全然まったく納得いかなかった。

それなのに、この本は、最初から最後まで、まったくといっていいほど矛盾を感じない。
題名からくる「ちょ~」さ加減とは隔絶した、きっちりした論考である。

その帯がなかなか示唆的なので、ここにご紹介しよう。
「中国史書に解明の鍵を発見!(←ここ、大文字)
孔子が書いた『春秋』の叙述伝統を継承する中国史書には、独特の記述スタイルが存在する。そのルールに従って難解な『魏志』「倭人伝」を徹底的に解読、果てしなき邪馬台国論争に大きな楔を打ち込む衝撃の提言」
とあるのだけど、その通りなのだ。

まず著者は、魏志を倭人伝だけでなく、東夷伝(その中に倭人伝が含まれる)全体でみるべきだ、と主張する。
そのうち、韓伝と倭人伝だけが、ほかの東夷伝とはおもむき(すなわち叙述スタイル)が異なる、と指摘する。
ではなぜ異なる叙述スタイルが用いられるのか、というところから、魏志の著者である陳寿と、ほかの史書の著者たちの背景を紹介する。
それすなわち、春秋学者であるということを。

そして中国の史書には伝統として『春秋』を継承する、という意識があることを指摘し、ではその『春秋』のレトリックはどんなものであるか、それが魏志倭人伝にどのように利用されているか、を詳細に検討する。
その結果として、誇張里数の実際は何であるか、それをもとに、現実の地図から邪馬台国が割り出せるかを実証する。

実証できちゃうんだな、これが。
オドロキと興奮のあまり、読み終えて頭がくらくらしました。

なぜ、誇張里数でなくちゃいけないのか、という政治的な背景も納得がいく。
そして里数は誇張しているが戸数はそのまま、という理由も納得がいく。
陸行一月水行二十日、という計算も、きっちりと実数とあうし、納得がいく。

あまりに納得がいくので、投馬国が薩摩だという説も、納得しそうだ。
(これについては、また改めて、薩摩について論じてみようと思う)

とりあえず、今後、邪馬台国について論じる人は、すべからくこの本を読みなさい、と言いたい。
これ読んできて、そこから反論してくれないと、受け付けないよ、と言いたい。
……いや、無理だろうけど(^_^;)。

なぜ無理かっていうと、著者がどうやら市井の人らしいからなのだな。
日本の学会は、こういう人たちに対して、もう全然まったく、かえりみようとしないから。
そりゃぁ、とんちんかんなはなしをしている人もいっぱいいますよ。
でも、とりあえず『春秋』読んでからやってこーい、とこれからは言ってみたい。

……自分も『春秋』読むかな。

というのも。
記紀を書いた人々というのも、当然、『春秋』を学んでいたのではないか、と思い至ったわけです。
この本に書かれているような、『春秋の筆法』というものが、記紀においても利用されている……可能性は高い。
いや、可能性が高いどころか、そうでなくっちゃいけない。
そうなると、「矛盾がある」ということは、史書としておかしいことではなく、むしろ、当然のことだというのもわかってくる。
そう、どうしてこうも記紀に矛盾がいっぱいあるのか、というのが、最大の謎だろうからね。
そして、矛盾があるから信用できない、というのがこれまでの論法だった。
だけど、書に残すにはそれなりの意味があると思うわけ。
その意味とはなんだろうと思って、ずっと頭をひねってきたのだけれど。

答えは『春秋の筆法』。

一例だけ、著書からひいてみよう。

『春秋』は、孔子が仕えていた魯国の年代記である。
詳しい説明は省くけど、とりあえず「勧善懲悪」の書だ。
そしてこの史書の書き方には、独特で、ほかにはみられないルールがある。
たとえば、魯国十一代の君主それぞれの死亡記事について。
公名と年月日は省きます。(書き写すのが面倒なのだ)

1、公が薨ぜられた
2、公が斉で薨ぜられた
3、公が路寝で薨ぜられた
4、公が薨ぜられた
5、公が小寝で薨ぜられた
6、公が台下で薨ぜられた
7、公が路寝で薨ぜられた
8、公が路寝で薨ぜられた
9、公が楚宮で薨ぜられた
10、公が乾侯で薨ぜられた
11、公が高寝で薨ぜられた

何がどう違うのか、一見すると、まるで分からない。
で、これについての謎解きはというと、この書き方には、四種類の区分けがあるのだそうだ。
そのうち、3、5、6、7、8、9、11は、公が宮殿の室内(路寝・小寝・台下は室名、廟室名だそうだ)で亡くなったということで、この形式が中国式記録の正式な慣例なのだそうだ。これはつまり、安楽死を意味する。
次に「公が薨じた」としか書いてないもの。つまり、場所が書いてないものは、「国内で暗殺」された意味になる。1と4ですね。
それから、10は、公が他国の都市で薨じたもの。これは国外亡命中に他国の町で病死したことを意味するそうな。
そして2は、他国(斉)で薨じたと書かれている。これは、都市名とは意味が違い、「他国で暗殺」されたことを語っている。
というわけだ。

きわめて簡潔な書き方、はたからみるとその違いがほとんど分からないこの書き方によって、亡命中の病死とか、陰謀暗殺とか、分かる人には分かるように書き分けてあるわけ。

どうですか。これが「春秋の筆法」だというのですよ。
きわめて複雑かつ婉曲なレトリックですな。
頭がくらくらします。

でも、それが分かると、日本書紀の、あの微妙な書き分けというのが、なんとなく、「あれ?」とか思えるようになるんですよ。
えぇ、本当に。


nice!(1)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問・資格(旧テーマ)

nice! 1

コメント 3

binten

先般はコメントをありがとうございました。
一旦こちらにコメントさせていただいたのですが、
http://blog.livedoor.jp/binten/
に移動させていただきました。
by binten (2005-02-04 22:11) 

アルバイシンの丘

つい嬉しくなったのでコメントさせて頂きます.実は私も読んだのです.『邪馬台国の全解決』.古本屋でたまたま見つけ,たまたま買って読んだのですが,おっしゃるとおり,私も,なるほどーっと感激してしまいました.高祖山,糸島水道などにも感激.その本は遠くに住んでいる人に貸して,まだ戻ってきません.また手に入れたいものです.
by アルバイシンの丘 (2006-05-18 01:25) 

点子

しばらく更新サボっておりました。お返事遅くなりましてごめんなさい。
この本のおかげで「春秋の筆法」という観点が得られ、記紀の読み方が全面的に変わりました。
このところ(「ダ・ヴィンチ・コード」のおかげで(^ ^;))ちょっとキリスト教方面に目を向けていて古代史がおろそかになっているんですが、また落ち着いたらぼちぼち再開したいと思います。
by 点子 (2006-06-04 15:32) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。