池辺皇子の謎 [日本紀解体]
夫と二人、日々、日本書紀を読んでいる。
ある時、夫が面白いことに気づいた。
「なんか、うじのかいだこのひめみこ(敏達天皇と推古天皇の長女、ということになっている。聖徳太子の奥さん)の別名って、同じ名前の敏達の別の娘がいるんだけど」
まずはここを、日本書紀から拾ってみよう。
「四年の春正月の丙辰の朔甲子に、息長真手王の女広姫を立てて皇后とす。是一(ひとり)の男(ひこみこ)・二(ふたり)の女(ひめみこ)を生れませり。其の一を押坂彦人大兄皇子と曰(まう)す。其の二を逆登(さかのぼり)皇女と曰す。其の三を菟道(うぢ)磯津貝(しつかひ)皇女と曰す」
これは敏達天皇四年条の冒頭。このあとに何人か奥さんをもらった情報がはいる。
そして、この年の冬に皇后の広姫が亡くなります。
「五年の春三月の己卯の朔戊子に、有司(つかさ)、皇后を立てむことを請す。詔して豊(とよ)御食(みけ)炊屋(かしきや)姫尊を立てて皇后とす。是、二の男・五の女を生れます。其の一を、菟道貝蛸(かいだこ)皇女と曰す。更(また)の名は、菟道磯津貝皇女。(以下略)」
そして、次の項目。
「七年の春三月の戊辰の朔壬申に、菟道皇女を以て、伊勢の祠(まつり)に侍らしむ。即ち池辺(いけへ)皇子に姧(をか)されぬ。事顕れて解けぬ」
さて、ここでいう、菟道皇女(うじのひめみこ)とは、広姫の娘のほうの菟道磯津貝皇女のことだ、と注釈には書いてあります。
すなわち、敏達記に、この人は「宇遲(うじ)王」と書かれているからですね。
炊屋姫(のちの推古天皇)のほうの娘については、敏達記では「靜貝王、またの名は貝蛸王」と書かれているのです。
異母姉妹で同名はありえないはずなのに、いろいろと混乱しているようです。
で、池辺皇子ですが、この人は他に見えなくて、どこのだれだか分からないんだそうです。
これが不思議だ。
伊勢の祠というのは、たぶん、伊勢斎宮の前身だろうと考えられています。いわば、菟道皇女は斎宮なわけです。これを犯してしまった。斎宮は処女でなければならないから、もう斎宮ではいられない、だから解任された、というわけですよね。
ちなみに、七年に菟道皇女は伊勢の祠に侍らしむわけですが、何年に解任されたかはこの文面からは分かりません。
次の伊勢斎宮っぽい記述は、用明天皇条で、即位と同時に、「酢香手姫皇女を伊勢神宮に拜して、日神の祠に奉らしむ」とあり、敏達年間にはほかの皇女を伊勢に、という記述はありません。
となると、菟道皇女は、七年に伊勢の祠についてから、十四年の敏達薨去までの間のいつかに解任されたことになります。
で、池辺ってのは、なんとなく地名っぽい気がするね、という話はあったわけです。
皇子の名前に地名がつけられることはよくありますからね。
で、池辺という地名って、どこかで聞き覚えがあったね……といって調べてみたら、なんのことはない、用明天皇の宮が「池辺双槻(いけのへのなみつき)宮」でした。
ここがもともとの用明の根拠地であるとすると、池辺の皇子というのは、用明か、さもなきゃその息子の厩戸ってーことになります。
はい、そうです。菟道の貝蛸(一名、磯津貝)を嫁さんにもらってる、あの厩戸さんです。聖徳太子さんです。
まっさかねー。
と思いつつも、なんとな~く、不思議に思っているのは。
聖徳太子の正妻であるはずのこの菟道貝蛸皇女に、子どもがいないんですよ。
世継ぎである山背(やましろ)大兄の母親は、蘇我馬子の娘の刀自子(とじこ)郎女(いらつめ)ということになっていますからね。
しかも山背が「大兄」と呼ばれているからには、皇太子(ひつぎのみこ)に準じる形での後継者扱いされていたと思われるふしがあります。
もし菟道貝蛸に息子がいたら、血筋の上からも、確実にそちらのほうが上位なので、山背が大兄であるということは、少なくとも貝蛸皇女には皇子がいなかったということになります。
しかし、これもまた、不思議な話しではあるわけですよね。
推古朝に聖徳太子は皇太子(ひつぎのみこ)となり、摂政として女帝を助けていたことになっています(なっている、とか書いちゃうけど……いや、詳しいことはたぶん、別項になると思いますが)。
でも、どうしてこの人が皇太子になったのか、詳しい選定とかはまったくなく、いきなり、なんですよね。
こんだけあちこちで、あれやこれや世継ぎ争いしている時に、たぶん竹田皇子(推古の息子)は亡くなっていたとは思うのですが、もうひとり尾張皇子という息子がいることになっています。しかも聖徳太子はこの尾張王の娘を娶っているという説もあるんですよね。そうなると少なくとも娘ができるほどには成長しているはず……しかし尾張皇子、その後どこにもでてきません。
そしてもうひとつ。
貝蛸って、やどかりの意味らしいんです。
「此の物、貝の内にある小さき蛸にて、両の手両の脚を其の殻の外へだして、海をおよぎ行く物なりといえり」というのは、まさに、やどかりですよね。
宿借りという名前の皇女……その皇女の別名と同じ名前の別の皇女、そして池辺皇子。
もしも池辺皇子が聖徳太子のことだったら……と思うと、妄想は果てし無く広がっていきます。
それはまた別項にて。
「池辺皇子」で検索してたどりつきました。私も池辺皇子の斎王との記事はものすごく気になっています。なるほど、池辺イコール聖徳太子ですか。続きが楽しみです。
実はトラックバック送ろうとしたのですが、自分で設置したブログでサーバーの制限もあってダメみたいでした。とりあえずの置き場 http://www5d.biglobe.ne.jp/~dynasty/blog/ です。
by やこめっち (2005-07-10 22:09)
いらっしゃいませ~。こちらもRSS設置しようと思ったらはじかれてしまいました~(; ;)。とりあえず、ブクマしたのでゆっくり読ませていただきますね♪
by tenko (2005-07-15 01:07)