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殷王朝の人身犠牲 [中国古代史]

殷代も後半になって、鄭州商城・偃師商城が放棄され、殷墟にうつる前あたりと思われる小双橋遺跡で、犠牲と思われる膨大な人骨が発見されたこともあって、殷王朝の祭祀は、この殷墟遷都前後から大きく変化したのではないかと推測される。
盤庚の時代に殷墟に移ったものと推定はされているが、そのあたり、細かい年代は当然のことながら分からない。それ以前に人身供犠が積極的に行われたかどうかは、まだ未発見である可能性も否定できない。
とはいえ、鄭州商城も偃師商城もかなり発掘が進んでいて、重層的な宮殿遺構なども把握されつつあるのに、この手の人身犠牲の報告が少ないということは、ちょっと注目に値するかもしれない。
すでに新石器時代後半から、首長のものと思われる大型墓には殉葬者がでているから、そういう意味での人身犠牲は物珍しいわけではない。
が、小双橋にみられる人身犠牲は、頭を切り落とされているところに、大きな違いがある。のちの殷墟での発掘状況などをみると、頭が切り落とされた場合、頭蓋骨はまとめて別のところに葬られているようなのだ。
そして、この頭を切り落とすという状況は……やはり、どう考えても相当におどろおどろしく、凄惨なものだっただろう。

とはいえ、古代の祭祀においての凄惨な場面というものを、現代の感覚で再現するのは危険が多い。
この手の頭蓋切断があるために、犠牲者は罪人や奴隷だっただろうということがしきりに言われているが、果たしてそうなのか、きわめて疑問が残る。
というのも、これらの人身供犠における「頭」は、先王に捧げられるものだったからだ。

殷の祖先祭祀において、「先王」すなわち「父某」が重要らしいのは、甲骨卜辞からも推測できるのだが、その理由というのは、先王が「祟る」からである。
この祟りを鎮めるために、人間の頭を必要としたらしいのだ。
そして、この頭を切り落とすために「鉞(えつ)」という特殊な武具を使う。
口を大きくあけ、大きな目で睨んだ、人面や獣面をあしらった青銅製の鉞がいくつも出土しているが、これが首を切り落とすための特殊な武具であり、しかもこれを持つことは王権の象徴なのだ。
つまり、首を切り落とすという行為は、王が王であるために付随する特権なので、その特権のために首切られる人間が罪人や奴隷であるという発想は、ひとまず棚上げにしたほうがいいんじゃないかという気がするのである。

犠牲を捧げるというのは、神なり天帝なり祖先なりに、なんらかの見返りをもとめて贈り物をすることである。
この贈り物は、より尊い貴重で珍奇なものであるほうが、贈られる側が喜ぶことは想像に難くない。
奴隷や罪人であるよりも、著名な人物、力のある人物、あるいは、それこそ王に近い存在であるほうが、よりその犠牲は尊いものになるのではないだろうか。
たとえば、稲作において、その年の一番最初にとれた稲穂を神に捧げるように、また遊牧民族の中で、その年生まれた仔蓄の中でもっとも肥え太ったものを神に捧げるように、犠牲には、特殊性(新しいとか、一番良いものであるとか)が必要である。
それは、罪人とか奴隷ではないのではないだろうか、と思うわけだ。

もちろん、殷墟の王墓とおぼしき発掘現場からでてくるおびただしい殉葬者の比較から、腕を縛られ首を切られたいくつもの殉葬者が、美々しく着飾り馬に乗り、または馬車を操って、首をつけたまま埋葬されている殉葬者より尊いものだとは思えない、ということは言えるだろう。
首を切られた人骨がいくつも投げ捨てられるように重なっている犠牲坑などは、犠牲者の身分を云々できるとは思えない。
それでも武王が焼死した紂王に矢を放ち、剣で叩き、鉞で首切ったという伝説から想像するに、王者であろうとも首を切られることは間違いがなく、その首は旗に晒されたと書かれているが、それもまた天への犠牲であろうことは想像に難くない。


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