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まだまだ孔子…… [中国古代史]

いったん疑問に思うと、あらゆることが不思議に思えてくる孔子。
なんでこの人が聖人君子になっちゃったのか、大変に疑問。
彼が生前に各国の諸侯相手に披瀝した自説たるや、おおよそものの役にもたたなければ、実行しようがないというか、しがいのないシロモノ。
現実に考えてみてください。
人民相手に身を慎み、仁愛をもってのぞみ、税は軽く、自分は放蕩しないで、って言われて、ほいほい聞ける諸侯がどこにいる?
そんなことできるなら、だれも苦労しまっしぇ~んというぐらい、身を慎むなど放蕩しないだのというのは、当時の諸侯である田舎やくざの親分(みたいなもんですよ、こいつらは)には無理な算段です。
しかもだ、諸侯の側が仁愛をもってのぞんで、税負担を軽くしたとします。それで人民は喜んで諸侯の徳を称えて、よく治まるって、想像できます?
そんなことないと思う。
実際に、そんなことしたら、人民はつけあがるばかりです。
つまり、孔子のいうところは、机上の空論なのね。
そりゃぁ理想論ではありますが、そんなことを実際に過去にやって成功した事例がない(ただし、孔子はあると思っていたっぽい)のです。
それに、春秋から戦国にかけての各国の歴史を調べていても、むしろ刑罰を重くして、厳正に人民にあたったほうが、盗賊の横行がなくなり、きちんと治まったようですよ。
もともと諸侯という連中と庶民という連中は、へたすると民族が違った可能性もあるぐらいで、そうそう一筋縄で統治できる状況ではないのです。庶民の側にだって、隙あれば諸侯を出し抜いてやろうという気概がありますしね。
なんで出し抜かなきゃいけないかってーと、つまり、諸侯ってのは、田舎やくざな存在なわけだから、であります。
どう考えても、左伝読んでると、そういうふうにしかとれないのよねー。
お貴族さまって連中は、とかく自分のメンツが第一で、とれるとこからはふんだくってやろう意識が高くて、自分の姉妹だろうが伯母だろうが、へたすりゃ祖母ともできちゃうというだらしない女関係。家臣の妻なんて基本ですわな。あげく、大食鯨飲でもって、やたら肉をくらうので、「肉をくらう人は長期的な観測がたてられない」と士身分に揶揄されるぐらい、見通しがたてられなかったらしいし。
こーゆーのが上にいたら、下にいる連中は、出し抜いてやろうとしか考えないだろうと思うし、そもそも、効率的な統治とか仁愛とか、想像もできないと思いますよ。
で、他国とのメンツをかけた戦争に庶民も駆り出した日にゃぁ、怨嗟も募りますわな。あげく、自分とこの農地が戦場になったりしたら……。
そーゆーことを日常茶飯事にやっていた時代に、礼だ仁だ徳だと言われて、はいそうですかってできる諸侯がどこにいるんでしょう。

そもそも、礼楽が基本だというのなら、最終的にもっともえらいのは周の王さまなわけでして、王さまをなんとかしなさいよと思うわけですが、孔子には眼中にないようです。
実際、周王って、存在感なかったからなぁ。
でも、周公旦が作ったのは、周王をトップにするピラミッド体制のはずで、それなのに孔子の目線が向いてないというのは、不思議っちゃ不思議です。
が、よくよく考えれば、彼は、王-諸侯-卿-大夫-士の、一番下の士のそれもぎりっぎり庶と変わらないぐらいのところの出自で、最終的に大夫ってとこまでのぼれたのが大変な名誉だと考える人で、そういう意味では、諸侯とか王とかって、彼にとっては雲上人というか、実はあまり想像もできなかったんじゃないのかな。
そして、彼が諸侯にいろいろと説いて回ったという伝説はあるけれど、それが本当だったかどうかも、彼の身分を考えると、けっこうクェスチョンなのです。
論語の中で彼は、自分にひとつの邑(村ですね)を宰領させてもらったら、三年あれば立派におさめてみせるのに、と言ってます。
つまり、大夫という身分で、邑宰になるというのが、彼の望みであり、これが魯においてかなったかどうかはとにかくとして、彼の目線の中で考えられる最高の身分というのが、これだったと思います。
だから、彼が仁とか徳とかほざいている話というのも、実は周王や諸侯クラスとは全然関係ないんじゃなかろうか。そんな諸侯に上から目線でこーしなさい、なんていえた身分でもないし、実際に言ってなかったんじゃなかろうか。
そんなふうに思えるわけですよ。
ぶっちゃけ、士身分に生まれたとはいえ、妾の子であります。
礼楽を知っていると自称しながら、魯の宗廟にはいりこんで、あれは何?これは何?と聞いて回ったという逸話もあります。
上のほうのことは全然知らなかったし、だからこそ学んだんだと思いますが、もとからもっていた知識ではない。
逆に、もとからもっていた知識ではなく、後付けの知識だからこそ、それをまた、別の人(弟子ですね)に与えることも可能だったし、弟子の教育って発想にもなったんだと思う。
で、孔子が弟子を教育して何にしたかったか、というと、これがまさしく、邑宰なんですよ。大夫身分の実務官僚ですね。
だから孔子が目指していたのも、そこだったんじゃないか、という妄想でした。


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