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二人の間人 [問題提起]

間人と書いて「はしひと」と読みます。
間の人で、はしひと。
はぁ?って感じですよね。
どうしてそう読むかの説明もない。

日本古代史には二人の間人が登場します。
一人は「穴穂部間人皇女」で、用明天皇の皇后であり、厩戸皇子の母と言われている人です。
もう一人は「間人皇女」で、こちらは皇極斉明天皇の娘であり、孝徳天皇の皇后となった人です。

この二人には血縁関係はない、ように書かれています。それなりのに同じ間人という名前を持っているのはなぜだろう?
ずいぶん前から疑問に思っていました。

なんとなく、間人って、「神と人の間を取り持つ」という意味で、巫女的な命名なのかなって印象がまずあって。
でも、二人の間人に関しては、ほとんどそれらしい記述がないですよね。
どちらもなんか、運命に翻弄されている存在の薄い女性っぽい記述がなされている。

穴穂部間人は、用明の皇后となり、厩戸と来目ともう一人ぐらい皇子を産んだけど、用明が亡くなったあとは、用明の最初の子である田目皇子と再婚した、(そして佐富王女を産んだ)という説があるようです。
間人は孝徳の皇后となって難波にいったけれど、兄である中大兄が「孝徳見捨てて近江にいこうぜ」って言って、母である宝皇女(当時は皇極天皇を退いて、いわゆる皇祖親(すめみおや)だった)とともに飛鳥に去ってしまいます。で、孝徳が、「くびきをつけて馬を飼っていたのに、その馬をとられてしまったよ」という嘆きの歌を送るわけですね。そして一説によると、中大兄と関係していたらしい(さすがに同母兄妹なので、書記ではほのめかすにとどまっております)。
夫と兄の間で引き裂かれる悲劇の女性としては、佐保姫という存在がありますが、あれもなんだか兄との間に「できてる」印象がありますが。
いずれにしても、自分からあれこれするのではなく、他人の思惑でひきずりまわされる印象の女性たち、それが間人という存在に見えた、のです。

が。

間人はやがて亡くなり、斉明として重祚した母親宝皇女と合葬されるんですが、そのときに、その陵の前っかわに、大田皇女が同じく埋葬されるんです。
大田皇女というのは、中大兄の娘で、母親は蘇我倉山田石川麻呂の娘越智娘(をちのいらつめ)といいます。
大海人皇子の妻となり、大伯(おおく)皇女を産んだとされてます。
でも、どうして、間人とその母親と一緒に埋葬されたんでしょう。
合葬ではないにしても、葬礼記事が同時に載り、わざわざ「陵の前の墓に葬す」と書いているんです。

気になって、あれこれ、合葬記事を探してしまいました。
そうしたら、夫婦の合葬、親子(しかも母と子)の合葬はあるんですが、孫とか姪とかを一緒に葬った(わざわざ埋葬し直したっぽいんですよね)という事例は見当たらないんですよね。
探したりないだけかもしれないけど。
だからもし大田皇女を合葬なり誰かとあわせて葬るとしたら、本来、越智娘系列とあわせて葬るべきであって、祖母と叔母の横にわざわざ葬りました、と記述をするのは、ちょっと変かな、と。
それで考えると、母娘の合葬墓のその前に葬られた大田皇女は、間人の娘と考えるのが、一番合点がいくんですけど……。
(うちの夫は、むしろ、大田皇女は宝皇女の娘なんじゃないか、と言ってます……年代的にはそちらのほうがあっている……のかな?)

閑話休題。

間人(はしひと)のことを調べようと思ってインターネットで検索かけたら、でてくるでてくる蟹またた蟹……「たいざがに」という丹後半島の名物。
なぜ? と思ったら、間人と書いて「たいざ」と読む地名があるのだそうです。
で、なんで「たいざ」っていうかっていうと、むかし、穴穂部間人皇后が、一時期、難を避けて、生地であるその地(丹後半島の突端である)に避難していたので、「たいざ」と申し上げる、とあります。
「たいざ」って……「退座」ですか?
難というと、穴穂部皇子をめぐるゴタゴタっすか?
それとも崇峻天皇暗殺っすか?
はたまた……?
そして、「退座」という言葉が意味深で、なんとなく「天皇の座を退いた」というように読めるのは、うがちすぎ、でしょうか?
すごく気になる。
もしかして、穴穂部間人は、ある時期、天皇(すめらみこと)だったことがあるんじゃないのか?
そうでなくても、彼女の存在は、実はすごく重要であって、彼女との婚姻がなければ用明は天皇になれなかったとか、彼女の息子だから厩戸は皇太子だったとか。

推古天皇の冒頭部分は、とても変な感じなのです。
推古が即位して、厩戸が皇太子に決まる。そのあいだの文章に、何もないんですよ。
一応、厩戸は推古の女婿ってことになってます。(一応、といわせていただく)
でもそれだとしたら、「推古には、夫の敏達との間に竹田皇子がいたけれど、これが亡くなってしまって~、そのあとに残った皇太子候補に誰と誰がいて~、あれこれ悩んだけど、厩戸を選びました」の一言があってもしかるべき、だと思う。
いやまぁ、この時代に本当に「皇太子」という存在があったかどうかは別にして(ほかに、「大兄」という存在があって、これがかなり重要そうなので)、少なくとも当時の厩戸にはほかにたくさんのライバルがいたはずなのに、まったく言及されずにすんなり皇太子になっているのは、異様な感じなのです。

が、もし、推古冒頭部分、推古でなく穴穂部間人が天皇になっていたとしたら、厩戸が皇太子というのは、流れとしてごく当然というか、おかしくないんですね。厩戸は穴穂部間人の長男だから。
もしかして、36年に及ぶとされている推古の治世は、前半は穴穂部間人が天皇だったんじゃないか、と疑いだしたのは、これが原因であります。
そう考えると、推古期の厩戸の実績に関する記述も、またその目で見直してみる必要がある。

さて一方、宝の娘の間人ですが、この人もまた、重要な存在だったんじゃないかと思います。
孝徳は間人を嫁にしないと、天皇になれなかったのかもしれない。そういう存在と考えると、重要さも浮き彫りにされるでしょう。
で、天智との間に生れた娘は天武の最初の妻となっている。
(実は天智・天武・間人は、まったくもって、血のつながった兄弟じゃないってのが、我が家の考えです)
なにより。
天智は、間人が死ぬまで、天皇になれなかったんですよ。
ここがポイント。

しかし、長くなってしまいました。
問題提起だけして、ひとまず、筆をおくことにします。
二人の間人に関しては、土師娑婆連猪手の殯をめぐる章で、改めて。


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小路千兵衛

初めまして !
妹が持ってきた本、井上靖の「額田女王」を、読み始めたら、のっけから
間人が出てきました。

「 あれ ? 間人は 聖徳太子の母の筈 ????」

で、他の本を、ひっくり返し、調べたら・・・天智の妹と二人居た !
そこで、間人 とは ? の疑問。
ネットで 調べていたら、「蟹」・・・で・・・アチコチ・・ウロウロ
此処へ迷い込みました。

間人 皇后が 「退座」された から・・・となっていましたが、
僕が以前 TVで見た記憶では、 「滞在」 されていたから・・と言う事でした。

どちらの説も、頷けるのですが・・「藪の中」 否・ 夢を残して いるのでしょう。

で、
肝心の 間人 の意味が どうしても 判りません。

たとえば、天豊財重日足比売 なら、文字から 意味が何となく判る様な気がするのですが・・・
間人 に 特別な意味が有るのでしょうか?
間が ハシ と 読むのも、イマイチ 判然としません。
箸、端、橋、梯、柱・・梁も 皆 ハシ ら ですが・・・これらは、棒状の長いもので、橋の元は、水平な物でなく、垂直な物・・天の国と地の国を結ぶ物・・・と
何かの本で 読んだ記憶があるのですが・・・
この様に、
夢は夢なりに 納得したくて・・それが、まま 成らず、 まだ、当分 もやもや しそうです。

お邪魔しました。 又、近い内に来ます。

ぴ~~えす。

ブログ 初心者ですが、一応、僕も人並みに、真似をして・・
開設しています。
良かったら、遊びに来て下さい。
http://kohoji.exblog.jp
です。ご迷惑でしたら、この、コメントも含めて 削除されても結構ですが、
決して・・アヤシイ 者では、ありません。
by 小路千兵衛 (2005-11-17 14:37) 

tenko

いらっしゃいませ~。
まだ下書き段階ですが、この話の続きというのを書いておりまして、そこで、
間人(はしひと)ニアリーイコール土師人(はじひと)なのではないか、ということを書いてみました。
これは古事記に穴穂部間人のことを、埿部穴穂部と記していることから類推してみた次第です。
土師というのは埴輪を作る集団であり、葬送儀礼を司ると言われております。
この集団が、間人に従属していたのか、間人を養育していたのか、はたまた? というあたりはまだ疑問が残りまくりなのですが。
もし間人が土師の人で、神と人の間を取り持つというのであれば、葬送儀礼にも関わるのかなぁと思ったり。
それとももっとオカルティックに呪殺が可能と考えるほうがいいのかしら、などと思ったり。
まだまだ間人の謎は尽きません……。
by tenko (2005-12-01 17:30) 

小路千兵衛

コンニチワ ! ありがとう ございます。 ( コメント 消され無くて・・)
ハニ 氏 との関連ですか、 なるほど 納得 !
土生は 土、♪♪・・埴生の宿も・・の埴生、転字、転音が ゴマン とあるので
・・・そう言えば、土人形を 輪にして、埴輪とか・・・。
土師氏の祖先・? かも・・と、思われる巫女、又は集団で オオタタネコ がいますが・・どんどん 深みへ はまりそう・・です。
by 小路千兵衛 (2005-12-13 13:00) 

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